こうしかい
(高志)
1994/07/15~09/28(会派解散)~12/10(新進党結党)

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★概要 自民党を離党した海部俊樹らが1994年に結成した衆議院会派/政治グループ。 非自民非共産連合の羽田内閣が総辞職した後、自民党はさきがけと共に社会党委員長の村山富市を首相候補とすることで政権復帰を狙ったが、一部の自民党議員は社会党との連立に強く反発していたため、連立グループは自民党の再分裂を狙って自民党の海部俊樹を首相候補に擁立した。 首班指名選挙では自民党衆議院議員26名(決選投票では19名)が造反して海部に投票したものの、逆転ならずに村山内閣が誕生し、自民党の大きな分裂は絶望的となった。 このため、海部支持の中核メンバーは6名のみで自民党を離党し、衆議院に院内会派「高志会」を結成した。 高志会は元々は自民党内の政策勉強会の名称で、後藤田正晴を中心とする政治改革推進議員連盟の中でも強硬派が結成したグループだったが、後藤田らは同調せずに自民党に残留している。 旧連立グループには厚遇され、自民党からのさらなる離党者の受け皿となることが期待されていたが、与党に復帰した自民党が造反議員に対して厳しい処分を行わなかったこともあって、新たな参加者は現れなかった。 このため、旧連立グループ内での発言力を強化するために、同じく自民党離党議員が結成していた改革の会・新党みらい・自由党と共に自由改革連合を結成して、海部が代表に就任した。 自改連は"新・新党"結成の主導権を握るために積極的に活動し、新生・公明両党主導の新党構想に不満を持つ勢力からは支持を得たが、海部が新生党に近い立場を取っていたため、自改連内部からも海部に対する批判が少なからずあり、自改連は旧連立グループの会議では統一の代表者を出せずに各党が別々に代表者を出している。 このため、旧連立グループの統一会派「改革」の結成後もグループとして存続したものの、存在感を示すことができなかった。 新進党の正式な結党直前に行われた初代党首選では海部が圧勝で初代党首に当選したものの、津島雄二は結党前日になって新生党主導の体制や地元の青森県知事選での新進党との対立を理由として新進党への不参加を表明した。 また、自改連でも反小沢色が強い自由党は党首選を前に自改連を離脱して、海部支持を拒否している。 新進党結党後も、自由党を除いた自改連はグループとして存続することが内定していたが、その後は不明。 新進党に参加した5議員のうち今津と保岡は新進党の解党を待たずに離党して自民党へと復党しており、残る3名のうち地方首長に転じた野呂を除く2名(海部・野田)も最終的には自民党に復党している。
★役員 ----------------------------- 代表: 野田 毅 -----------------------------
★衆議院会派 ----------------------------------------------------------------- 1994/07/15: 6 : 会派結成 1994/09/28: -- : 会派解散、統一会派「改革」の結成に参加 1994/12/15: -- : 会派「改革」が「新進党」へと改称、津島は退会 -----------------------------------------------------------------
★衆議院議員 新進党 →移動 1996総選挙 →移動 --------------------------------------------------------------------------------------------- 今津 寛 北海02( 2) # →自民 ●自民 津島 雄二 青森01( 7) # 不参加 →自民 ○自民 海部 俊樹 愛知03(12) # ○新進 →無会→自由→保守→保守新→自民 野呂 昭彦 三重02( 4) # ×新進 →(自由)→(松坂市長)→(三重県知事) 野田 毅 熊本01( 8) # ○新進 →自由→保守→自民 保岡 興治 鹿児01( 7) # →自民 ○自民 --------------------------------------------------------------------------------------------- *唯一自民党に復帰しなかった野呂は2000年に自民・民主相乗りで松坂市長に当選、2003年には民主党の支援を受けて三重県知事に当選しているが、1期目の時点で自民党の一部からも支援を受けており(自民党は自主投票)、2期目では自民党の推薦も得ている。ただし、民主党幹部の岡田克也の地元ということもあり、基本的には民主党系知事だった。