さんぎいんのかい
1983/07/11~1985/12/23改称 *参議院会派

[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
★概要 1983参院選後に無党派系議員が参議院で結成した統一会派。 無党派系議員の統一会派としては無党派クラブが存在していたが、1983参院選に候補者を擁立する統一政治団体(無党派市民連合)の比例名簿順位を巡って内紛が起き、既に崩壊状態にあった。 しかし、個人では院内での活動が制限されることから、無党派クに残留していた美濃部亮吉・秦豊と直前に同会派を離脱していた八代英太の計3名が新会派の結成を表明。サラリーマン新党(2名)にも参加を呼びかけ、代表質問などの権利を与えられる5議席を確保して「参議院の会」を結成した。 参議院には他にも数名の無党派系議員がいたが、中山千夏と青島幸男は無党派ク内紛の中心人物だったため統一会派への参加を誘われず、青島らは第二院クラブ(3名)を再結成し、中山と山田耕三郎は会派に所属しなかった。 しかし、彼ら全員を含めると10名となり院内交渉会派になれることや、二院クが門戸開放と称して無党派系議員の入会を求めていたものの同調者が現れれなかったことから、大同団結への動きが強まり、会派結成の翌日には青島ら5名が入会して10議員の勢力となった。 無党派クの轍を踏まないため、会派としての理念は最低限に留め、議員の互助組織的な面が強調された。会派代表には美濃部亮吉が就任しているが、新人議員で無党派ク内紛の当事者ではなかった野坂昭如(二院ク)がメンバーの間を取り持ってトラブルの回避に尽力した。 しかし、野坂が1983総選挙に出馬して議員を辞職すると求心力が低下。まもなく中山が会派を離脱したことで院内交渉会派の資格を失うと、山田も追随して退会した。 1984末には八代が自民党への移籍を表明し、これを機に青島らも二院クを再興したため4議席にまで減少。さらにその直後に美濃部が死去したため3議席となった。 1985末に秦が民社党へと移籍すると、所属議員がサラ新の2名のみとなったため、会派名を「サラリーマン新党」へと変更した。
★役員 ------------------------------------------------------------------- 代表:    美濃部 亮吉 M(社会党推薦) 副代表:   青木 茂 サラ新 副代表:   喜屋武 真栄 二院ク(革新共闘会議推薦) 幹事長:   八代 英太 福祉党 国対委員長: 秦 豊 M(元・社民連) ------------------------------------------------------------------- *二院クらの合流後の役員 *美濃部の死去後の代表は青木茂(サラ新)
★院内会派 ------------------------------------------------------------------------------- 1983/07/11: 5: 会派結成 1983/07/12: 10: 二院ク3名と中山・山田が入会 1983/12/03: 9: 野坂が議員辞職 1983/12/05: 8: 中山が退会 1983/12/20: 7: 山田が退会 1983/12/24: 8: 下村が繰上当選 1984/11/26: 7: 前島が退会 1984/11/27: 4: 二院ク系3名が退会 1984/12/24: 3: 美濃部が死去 1985/12/23: 2: 秦が退会 会派名を「サラリーマン新党」へと変更 -------------------------------------------------------------------------------
★国会議員 前会派 本名 結 移 移 移 移 -------------------------------------------------------------------------------- 前島 英三郎 福祉党 八代 英太 ◎ → → × # 自民へ 美濃部 亮吉 無党派 ◎ → → 死 # 死去 秦 豊 無党派 ◎ → → → × # 民社へ 青木 茂 サラ新 ◎ → → → → # 木本 平八郎 サラ新 八木 大介 ◎ → → → → # 青島 幸男 二院ク ○ → × # 二院ク再興 喜屋武 真栄 二院ク ○ → × # 二院ク再興 野坂 昭如 二院ク ○ 辞 # 総選挙出馬 中山 千夏 M ○ × # Mへ 山田 耕三郎 M ○ × # Mへ 下村 泰 二院ク コロムビア・トップ 補 × # 二院ク再興 --------------------------------------------------------------------------------