[政党・会派] [政党・会派一覧(記事リスト)]
[公明系諸派]
★概略
1961年に創価学会が結成した政党で、現在の公明党(1998)の源流となった政党。
創価学会は1951年に戸田城聖が会長に就任すると、理念(王仏冥合)を実現させるための手段として政界進出の動きを強め、1954年に学会内に文化部を設置して選挙への準備を開始。翌1955統一地方選では東京都を中心に文化部員54名が学会推薦の無所属で出馬して53名が当選した。
1956年には国政にも進出して参院選で3議席を獲得したが、大規模な選挙違反により100人以上が起訴されており、翌1957年の参議院大阪補選では池田大作も逮捕されている(裁判で無罪)。
1958年に戸田会長が死去して1960年に池田大作が会長になると、1961夏に文化部を改組して文化局とすると共に、その傘下に政治活動を専門とする政治部を新設。1961秋には独立した政治団体として「公明政治連盟」を結成した。
大衆政党=国民政党を標榜していたが、実質的に支持団体が創価学会しかなく、党役員が学会役員を兼ねているなど組織的にも学会の支配を受けている状態で、党綱領にも王仏冥合などの宗教用語を用いるなど、一般的には宗教政党と見る向きが強かった。
公政連結成後も暫くは選挙での候補者は無所属で出馬しており、当選して議員となった者も必ずしも学会系のみで固まって行動していたわけではなく、参議院では他の諸派無所属議員と共に無所属クラブに所属していた。
しかし、1962参院選では公政連推薦候補が9名が当選し、非改選議員と合わせて2桁の議席となったことから、選挙後には参議院で独自会派として「公明会」を結成。この時点で民社党を上回る議席で、自社両党に次ぐ第3勢力となった。
1963統一地方選では公政連公認での候補者擁立を行い、東京都議選では17名が当選。東京特別区内の地方選挙では社会党を凌ぐ議席を獲得して、自社2大政党体制に風穴を開けた。選挙後には地方議員も議会で「公明会」会派を結成して行動するようになった。
1964年の衆議院への進出を機に、学会は党の独立性を高めるために政治部を解体して、以後の政治活動は全て政党側に任せることを決定した。
この方針の下で、公政連は「公明党」へと改組された。
★役員
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委員長: 原島 宏治
副委員長: 北条 浩
幹事長: 辻 武寿
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★公式サイト
・公明党 *現在の公明党サイト
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