けんせいかい

1995/05/--~2002/09/--

[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
★概要 1995年に結成された長野県の県議会会派/地方政党。 1993春の国政での政変の際、長野県には8名の自民党国会議員がいたが、羽田孜ら3名が新生党へ、田中秀征ら2名がさきがけへ、と移籍。離党国会議員の系列地方議員も次々と自民党を離党したため、県内の自民党は大分裂を起こした。 しかし自民党議員と離党議員は県政上では対立点が少なかったため、県議会内での過半数維持を目的として、統一会派「自由県政会」を結成した。 1994春の羽田の首相就任を機にいったんは非自民系が「新県政会」として独立したが、1995県議選後に再び統一会派として「県政会」を結成した。 中央政党とは一線を画す県民党を標榜して同名の政治団体も結成し、吉村県知事の与党として強い影響力を持った、 1997末の新進党解党後も会派/地方政党は存続。1999県議選では自民党などの党員であっても多くの候補者が県政会公認を得て出馬し、選挙では県政会単独で過半数を獲得して、選挙後に再び県議会会派を結成した。 しかし2000県知事選で吉村県知事の後継候補が無党派系の田中康夫に敗れたことで足並みが乱れ始めた。 特に県内の民主党は、保守系が県政会に参加している一方で、連合長野などの左派系は県知事選で田中を支援していたため、田中県政に対する態度が曖昧なものとなっており、これを不満とする反田中の自民系若手県議9名は2002春に独立して無所属クラブ(後に政信会に改称)を結成。この結果、県政会の議席は過半数ギリギリにまで減少した。 2002秋には田中県知事不信任決議で造反して投票を棄権した2名を除名したことで県議会の過半数を失い、出直し県知事選で田中県知事への対抗馬が惨敗したことで求心力を失い、まもなく解散に追い込まれた。 県政会解散後、羽田系(民主系)9名は「創新会」を、自民系8名は「自民クラブ」を、若手議員6名は別に「フォーラム改新」をそれぞれ結成(6名は当面所属なし)。また先に除名された2名は田中県知事支持を唱えて「無所属の会」を結成している。 以後、長野県の保守系は次第に自民・民主両党へと分かれ、また2006県知事選で田中県知事が落選したことで田中支持派も衰退し、地方政党/県議会会派乱立は解消してゆく。
★役員 ◇団長 1995/05/--: 石田 治一郎 自民系 2000/--/--: 下崎 保 旧新進系