[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
*1998の改称前は「新党さきがけ」、2002の改称後は「みどりの会議」
★概略
1998年に新党さきがけが党名を変更した政党。
党名変更時には保守系政党だったが、中村敦夫に党を丸ごと譲った後は中身が完全に入れ替わって新左翼系環境政党となった。
新党さきがけは1996秋の民主党結党により党が分裂し、直後の総選挙で惨敗したことでミニ政党へと転落した。
選挙後には自民党との連立政権を閣外協力に格下げしたが、既に存在感を失っていたため支持は上がらず、1998参院選前には閣外協力を解消して環境政党としての再出発を宣言したものの、参院選での議席の獲得に失敗した。地方では組織の解体が進んでおり、選挙後には今後の方針を巡って国会議員の間でも意見が別れたことから、解党を決定した。
しかし、政党助成金の受給資格が3年後まで残っていたことや、地元の滋賀県に多数の系列議員を抱えていた武村代表が完全な解党には強く反対したため、名目上は解党とするが、法律上は滋賀県選出の武村と奥村以外の国会議員が離党した上で、党名を「さきがけ」へと変更する形を採った。この結果、さきがけは実質的に滋賀県の地方政党となった。
滋賀県では1999県議選に公認候補を擁立して2名を当選させるなど、滋賀県内では依然として一定の影響力を持った。
国会議員は衆参1名ずつとなったが、衆議院では離党した園田と統一会派を結成し、会派名として「さきがけ」を使用したが、1年後に園田の自民党復党に伴い解消されている。
しかし、2000総選挙では、武村と参議院から鞍替えした奥村が民主・自由両党らの推薦を受けて無所属出馬しものの落選し、党所属国会議員がいなくなったことで政党要件を喪失した。
選挙後には"さきがけ滋賀"内からも解党論が強まったが、国会議員が1人でもいれば政党交付金が得られることから、1998参院選に党推薦で出馬して当選していた中村敦夫を党首に迎えて党を存続させた。
しかし、中村は党を一新して自身の政治団体である国民会議の路線を継承することを表明。国民会議は環境主義や平和主義を掲げて結成された中村の1人政党だったが、その後、新左翼関係者が多数参加したため、事実上の新左翼政党となっていた。
さきがけ滋賀は以後も形式的には地方組織のままだったが、党本部とは別個に活動し、2001春には民主党滋賀県連に合流して解散。同時に武村と奥村も民主党に入党している。
このため、中村の代表就任の時点で実質的に旧さきがけの系譜は断絶した。
2001春に党の比例選出議員だった堂本暁子が辞職したことで黒岩秩子が繰上当選。
黒岩は政党としての"さきがけ"には所属しなかったが、院内では中村と共に会派「さきがけ環境会議」を結成して行動を共にした。
国民会議を中心に同調する勢力を糾合して環境政党へ移行する計画は2001参院選を目標に進められていたが、支持は広がらず、具体的な中身も支持者の間でも話がまとまらなかったことで参院選前の結成は実現できず、2001参院選での候補擁立もできなかったことから、選挙後には政党要件を失った。
この選挙では黒岩が無所属で出馬して落選したため、統一会派は自然解消され、以後、中村は2004夏の任期満了まで会派に所属しなかった。
選挙後に改めて環境政党の結成を広く呼びかけ、2002年に「みどりの会議」を結成。法律上は"さきがけ"が党名を変更する形を採っている。
★主要役員
代表
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1998/05/31: 武村 正義 # 新党さきがけ代表として選出
1998/10/20: 武村 正義 # 党名変更、代表続投
2000/07/01: 中村 敦夫 #
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★国会議員・会派
・新党さきがけの国会議員を参照
★綱領
・新しい「さきがけ」の基本理念・基本政策
"新党さきがけ"時代の1998/06に一新された綱領だが、党名変更後も公式サイトに掲載されていた
・さきがけ HomePage *新党さきがけから継続=閉鎖
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