しんじゆうくらぶ
New Liberal Club
(新自ク)
1976/06/25~1986/08/15

[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
*政治団体届出は1976/07/07 *解散日は公に活動停止とした日付、残務整理のため法律上の解散届は暫く後に提出されている(1986/12/15) 当時は政党助成金や比例選出議員の政党移動禁止の制度が無かったため、公式な手続きで政党を合併する必要が無かった
★概要 1976年に自民党を離党した議員が結成した保守政党。 当時、自民党は田中角栄の金脈問題やロッキード事件で支持を失いつつあったが、一方で野党も支持を得られておらず、政治不信が高まっていた。 河野洋平は自民党内で若手議員を集めて政治工学研究所を結成し、党改革に積極的な三木総理総裁を支援していたが、三木は派閥抗争の中で指導力を発揮できず、河野らは党の再生は絶望的だとして保守再生を目指す新党結成を表明した。 離党表明には6議員が参加。その後も藤波孝生ら他の政工研メンバーにも新党への参加を呼び掛けたが支持は広がらず、洋平の叔父で参議院改革派の重鎮だった河野謙三参議院議長も離党に批判的で、新たな参加者は現れないまま6名での結党を余儀なくされた。 結党時には新保守路線を掲げたものの、メンバー間での意見の相違から具体的な政策を打ち出せなかった一方で、反自民路線を唱えて野党路線を採ったため、既存野党との連合政権は否定していたものの、共産党を含む非自民勢力からは好意的に捉えられ、野党連合を望む声が挙がっていた。 また、新たな保守政党の誕生は若い保守系候補者の注目を浴び、自民公認漏れの保守系候補を中心に多数の立候補予定者が党公認を求めて殺到。 1976総選挙では25名の候補を揃えて確認団体となり、総選挙では現有5議席から17議席へと大きく躍進。都市部だけでなく農村部でも当選者を出しており、選挙後には自民の地方議員を多数取り込んむことで地方組織の拡充を目指した。 1977参院選では"自民を落とすため"と公言して1人区にも積極的に候補を擁立。しかし目標としていた参議院での自民過半数割れに失敗し、党としても3名の当選に留まった。 元々党幹部の間ですら政治倫理や派閥批判以外の具体的な政策ではコンセンサスが取れておらず、特に反自民の野党連携路線には強い批判があったが、参院選の敗北の結果、保守系支持者の反発を抑えるために、反自民路線を改めると共に非社共の立場を明確にした。 しかし河野代表らは依然として都市政党・中道路線へと傾倒していたため、幹事長の西岡武夫が強く反発。また1979東京都知事選では河野が牛尾治朗の擁立を目指していたが、党内の根回しを全く行っていなかったため党がまとまらず、牛尾から出馬を辞退されている。こうした河野代表の独裁的手法に対しては西岡幹事長が常々批判を繰り返していたが、逆に河野が西岡に幹事長辞任を要求することもあり、党内対立は収まる気配を見せなかった。 1979統一地方選では形の上では勢力を増加させたが、幹部の地元の神奈川や埼玉など以外では伸び悩んでおり、地方では次第に離党者が増加していった。 1979夏に西岡幹事長が中道政党との選挙協力を批判して離党すると、同様の立場を採っていた議員/党員も次々と離党。西岡らが離党したことで党の路線問題は一応の決着をみたものの、党への支持は回復すること無く、以後は弱小政党として固定化された。 1979総選挙では当選4名に激減。選挙後には民社からの統一会派結成の呼び掛けを拒否して自民へと接近し、大平総理と政策協定を結んで首班指名選挙では大平に投票した。 大平との約束では田川が文相として入閣するはずだったが、この時の首班指名選挙は自民が真っ二つに割れる党内抗争の場でもあったため、自民反主流派の反発で連立政権の約束は反故にされた。 連立政権樹立に失敗しただけでなく、中道路線から自自連立路線への急転換は党内外から強い批判を浴び、河野代表は辞任に追い込まれ、自民との連立に批判的だった円山雅也はこれを機に離党している。 1980総選挙では12議席に回復したが、同日の参院選では0議席に終わった。野党路線へと回帰したことで、選挙後には社民連から統一会派の打診を受けたが、田川や河野は積極的だったものの、社民連が社会主義政党であることから党内には反対が強く、とりあえず参議院で無所属議員も含めた統一会派として新政クラブを結成した。その後も社民連との協議は続き、1981秋に衆議院でも統一会派を結成したが、木村と柿沢はこれを批判して離党している。 社民連との協力関係は次第に強化され、1983参院選では社民連と統一政治団体「新自由クラブ民主連合」を結成。比例区でも統一名簿で選挙に臨んだが、比例区では1議席のみの惨敗に終わり、比例区唯一の当選者が社民連に取られたこともあって選挙後には党内からは不満が噴出。中道路線は破綻し、再び保守路線へと転回した。 1983総選挙では8議席へと議席を減らしたが、この選挙で過半数を割り込んだ自民からの打診を受け連立政権を樹立。第2次中曽根内閣に田川代表が自治相として入閣した。 しかし自民が支持を回復する一方で新自クは存在感を失い、1986衆参W選挙では自民が歴史的な大勝となる一方で、新自クは議席を減らし、衆参7議員にまで衰退した。 選挙後は河野代表らの連立離脱派と山口幹事長らの連立継続派が対立し、河野代表が衆議院に独自会派結成を届け出る一方で、山口幹事長は自民に統一会派の継続を申し入れ、党は完全に分裂状態となった。 最終的に河野代表が連立離脱派メンバーからの一任を取り付け、閣外協力の形で統一会派を継続することで妥協したが、既に求心力は失われており、河野代表が突如解党を表明すると、大きな混乱もなく了承された。 現職の国会議員は田川を除く全員が自民へと入復党したが、各議員は自民党内で統一行動を取ることは無く、宮沢派と中曽根派へと別れていった。唯一復党しなかった田川はとりあえず一人政党の自由クラブを結成したが、翌1987年には地元神奈川などの新自ク残党らを集めて進歩党を結成した。 地方議員も多くは自民へと入復党したが、翌年の統一地方選後まで入復党を保留された者も少なくなかった。 1989年には京都府連代表だった清水三雄らが党の再興を唱えて「新自由クラブ」を結成して参院選に候補を擁立したが議席を得られなかった。
★役員 代表 代表代行 幹事長 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- 1976/06/25: 河野 洋平 ------------- 西岡 武夫 # 西岡は幹事 1976/09/17: ------------- 西岡 武夫 # 西岡が幹事長就任、党役員決定 1978/02/26: 河野 洋平 ------------- 西岡 武夫 # 党大会で承認 1979/07/17: ------------- (田川 誠一) # 西岡の離党により幹事長代行を設置 1979/07/26: 河野 洋平 ------------- 田川 誠一 # 全国幹事会で承認 1979/11/26: ------------- 田川 誠一 山口 敏夫 # 河野代表の辞任により代表代行を設置 1980/02/29: 田川 誠一 ------------- 山口 敏夫 # 党大会で承認 1981/07/13: 河野 洋平 # 田川代表の入院により代表代行を設置 1982/02/19: 田川 誠一 河野 洋平 山口 敏夫 # 党大会で承認 1984/02/18: 田川 誠一 河野 洋平 山口 敏夫 # 党大会で承認 1984/06/23: 河野 洋平 ------------- 山口 敏夫 # 田川代表が辞任 1986/03/02: 河野 洋平 ------------- 山口 敏夫 # 党大会で承認 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- *1976/07/07に政治団体としての届出が行われているが、正式な綱領などが無かったため暫定的な届出となっており、代表者も暫定的に石川達男(河野の秘書)とされていた *役員選挙の規定はあるものの、一度も選挙は行われなかった
★年表 1976/06/25: 自民6議員が離党して「新自由クラブ」を結成 1976/07/07: 政治団体として届出 1976/07/20: 基本理念を発表 1976/12/05: 総選挙、当選17名 1977/03/27: 綱領と会則の草案を発表 1977/07/10: 参院選、当選3 1978/02/26: 第1回全国代議員大会 1979/01/27: 第2回全国代議員大会(~28)、河野と西岡が対立 1979/07/16: 西岡幹事長が党内対立で離党 1979/07/26: 全国幹事会で分裂騒動後の新体制を承認 1979/08/10: 有田が離党、参議院での新会派結成に独自に動くため 1979/10/07: 総選挙、当選4 1979/11/06: 大平首相(自民)と政策合意、首班指名で大平に投票 1979/11/10: 大平首相が新自クとの連立に言及 1979/11/13: 自民党が総選挙後初の総務会を開催 1979/11/19: 河野代表が大平首相との会談で連立断念を了承 1979/11/20: 円山雅也が自民との連立騒動を批判して離党 1979/11/26: 河野代表が辞任、田川が代表代行就任 1980/02/29: 第3回全国代議員大会、田川が代表就任 1980/06/22: 衆参W選挙、当選衆12参0 1980/07/08: 参議院で統一会派「新政クラブ」を結成 1981/02/20: 第4回全国代議員大会、 1981/07/13: 河野が代表代行就任、田川の入院が長引いているため 1981/09/21: 衆議院で社民連と統一会派「新自由クラブ・民主連合」を結成 1982/02/18: 第5回全国代議員大会(~19)、役員改選 1983/02/19: 第6回全国代議員大会 1983/04/15: 社民連と共同で政治団体「新自由クラブ民主連合」を結成 1983/05/23: 自ク連の結成を発表 1983/06/26: 参院選、自ク連として当選2 1983/09/06: 衆参で社民連との統一会派を解消、ただし参議院では新政クラブとして存続 1983/12/18: 総選挙、当選8 1983/12/26: 自民党と政策合意、衆議院で自民党と統一会派「自由民主党・新自由国民連合」を結成 1983/12/27: 自民党と連立政権樹立、第2次中曽根内閣に田川誠一が自治相として入閣 1984/02/18: 第7回全国代議員大会、役員改選 1984/06/23: 第8回全国代議員大会(臨時)、河野が代表復帰 1984/11/01: 内閣改造、山口が労相として入閣 1985/01/21: 第9回全国代議員大会 1985/12/28: 内閣改造、河野が科技庁長官として入閣 1986/03/02: 第10回全国代議員大会、役員改選 1986/07/06: 衆参W選挙、当選衆6参1 1986/07/11: 河野代表が衆議院に独自会派の結成届を提出、山口幹事長が自民に統一会派結成を申し入れ 1986/07/14: 河野・山口会談で自民との統一会派継続で合意 1986/07/21: 自民と統一会派継続と閣外協力で合意 1986/08/12: 河野代表が全国幹事会で解党を提案 1986/08/15: 第11回全国代議員大会(臨時)、解党を承認 1986/12/15: 公式に解散届を提出
★院内会派 衆 参 1976/06/26: 5 -- # 衆議院会派結成、参議院は1名のためM 1976/12/05: 5 -- # *総選挙 1976/12/09: 5 -- # *衆議院議員任期満了 1976/12/22: 18 -- # 衆議院会派届出 1977/07/10: 18 -- # *参院選 1977/07/18: 18 4 # 参議院会派結成 1977/07/21: 18 5 # 野末が入会 1978/01/08: 17 5 # 刀祢館正也が死去 1979/07/30: 13 5 # 大成・大原・菊池・西岡が退会 1979/08/10: 13 4 # 有田が退会 1979/09/07: 13 4 # *衆議院解散 1979/10/07: -- 4 # *総選挙 1979/10/12: 4 4 # 衆議院会派届出 1979/11/20: 4 3 # 円山が退会 1980/05/19: 4 3 # *衆議院解散 1980/05/21: -- 2 # 柿沢が議員辞職 1980/06/22: -- 2 # *衆参W選 1980/06/27: 12 2 # 衆議院会派届出 1980/07/07: 12 -- # 参議院で統一会派「新政クラブ」の結成に参加 1980/12/19: 11 -- # 木村が退会 1981/09/21: -- -- # 衆議院で社民連と統一会派「新自由クラブ・民主連合」を結成 1981/09/22: -- -- # 柿沢が統一会派を退会 1983/06/02: -- -- # 参議院会派「新政クラブ」を「新自由クラブ民主連合」と改称 1983/06/26: -- -- # *参院選 1983/07/09: -- -- # 参議院会派の自ク連が解消 1983/07/11: -- -- # 参議院会派の自ク連を再結成 1983/09/06: 10 -- # 衆議院で統一会派を解消して独自会派結成、参議院会派を「新政クラブ」へと改称 1983/11/28: 10 -- # *衆議院解散 1983/12/18: -- -- # *総選挙 1983/12/26: -- -- # 衆議院で自民と統一会派「自由民主党・新自由国民連合」を結成 1984/02/06: -- -- # 唯一の参議院議員の森田が新政クを退会して自民会派に入会 1986/06/02: -- -- # *衆議院解散 1986/07/06: -- -- # *衆参W選 1986/07/15: -- -- # 衆議院で自民と統一会派「自由民主党・新自由国民連合」を結成 1986/09/10: -- -- # 衆議院会派が「自由民主党」へと改称、田川が退会 1986/09/11: -- -- # 参議院会派が「自由民主党」へと改称
★選挙 1976総選挙: 17/25: 2363984.653 4.18% # 1979総選挙: 4/31: 1631811.955 3.02% # 1980総選挙: 12/25: 1766396 2.99% # 1983総選挙: 8/17: 1341584.395 2.36% # 1986総選挙: 6/12: 1114800 1.84% # 1977参院選: 3/13: 1957902.327 3.86% # 全国区得票 1980参院選: 0/ 2: 351291 0.63% # 全国区得票 1983参院選: *自ク連として候補擁立 1986参院選: 1/ 7: 1367291 2.38% # 比例区得票 *新自由クラブ民主連合 1983参院選: 2/10: 1239169 2.66% # 比例区得票
★国会議員 *選挙結果は公認候補の場合のみ *離党理由は現職議員のみ 選挙区 結 76 77 移 79 移 80 80 移 83 83 86 86 衆 参 衆 衆 参 参 衆 衆 参 # 解党 | 離党理由(現職のみ) ----------------------------------------------------------------------------------------------------- ◇衆議院 17 4 12 8 6 ----------------------------------------------------------------------------------------------------- 河野 洋平 神奈05 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ # 自民 | ----- 田川 誠一 神奈02 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ # 進歩 | ----- 西岡 武夫 長崎02 ◎ ◎ 離 - - - - - - - - - # | 河野らと対立 山口 敏夫 埼玉02 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ # 自民 | ----- 小林 正巳 兵庫03 ◎ ◎ × × - - - - - - # | ----- 菊池 福治郎 宮城02 - ◎ 離 - - - - - - - - - # | 西岡に同調 大成 正雄 埼玉05 - ◎ 離 - - - - - - - - - # | 西岡に同調 依田 実 東京09 - ◎ × ◎ × - - # | ----- 伊藤 公介 東京11 - ◎ × ◎ ◎ × - # | ----- 工藤 晃 神奈01 - ◎ × × - - - - - - # | ----- 甘利 正 神奈03 - ◎ × ◎ - - - # | ----- 川合 武 神奈04 - ◎ × - - - - - - - - # | ----- 永原 稔 静岡01 - ◎ × - - - - - - - - # | ----- 加地 和 京都01 - ◎ × - - - - - - × - # | ----- 中馬 弘毅 大阪06 - ◎ × ◎ ◎ × - # | ----- 刀祢館 正也 兵庫02 - ◎ 死 - - - - - - - - - # | ----- 中川 秀直 広島02 - ◎ × - - - - - - - - # | ----- 大原 一三 宮崎01 - 追 離 - - - - - - - - - # | 西岡に同調 田島 衛 東京10 - - - - ◎ ◎ × × - # | ----- 木村 守男 青森02 - - - - × ◎ 離 - - - - # | 社民連との協力を批判 石原 健太郎 福島01 - - - - × ◎ ◎ × - # | ----- 小杉 隆 東京03 - - - - × ◎ ◎ ◎ # 自民 | ----- 柿沢 弘治 東京06 - - - - - - ◎ 離 - - - - # | 社民連との協力を批判 甘利 明 神奈03 - - - - - - - - - - ◎ ◎ # 自民 | ----- 鈴木 恒夫 神奈01 - - - - - - - - - - × ◎ # 自民 | ----- ----------------------------------------------------------------------------------------------------- 選挙区 結 76 77 移 79 移 80 80 移 83 83 86 86 衆 参 衆 衆 参 参 衆 衆 参 # 解党 | 離党理由(現職のみ) ----------------------------------------------------------------------------------------------------- ◇参議院 3 0 1 1 ----------------------------------------------------------------------------------------------------- 有田 一寿 福岡 ◎ 離 - - - - - - - - - # | 参議院での新会派呼び掛けのため 柿沢 弘治 東京 - - ◎ 辞 - - - - - - - # | ----- 円山 雅也 全国 - - ◎ 離 - - - - - - - # | 自民との連立を批判 森田 重郎 埼玉 - - ◎ ◎ # 自民 | ----- 野末 陳平 全国 - - 入 離 - - - - # | 東京選挙区転出を拒否して税金党結成 大石 武一 宮城 - - - - - - - - 入 × - - - # | ----- 宇都宮 徳馬 東京 - - - - - - - - - - - - ☆ # | ----- ----------------------------------------------------------------------------------------------------- *有田は西岡離党の混乱収拾の際の話し合いで、参議院に党議拘束を掛けない緑風会的な会派結成を主張 党としてもこれを認め、その工作のために離党した まもなく無所属議員と共に参議院無所属クラブを結成、さらに社民連が加わって参議院クラブに発展した 有田は1980年に引退したが、選挙後に新自クも加わって新政クラブが結成された しかし新政クラブでは新自クと社民連は党議拘束を掛けていたと思われる *大石は1983参院選前に自民を離党して入党、選挙では自ク連候補として比例区に出馬した *宇都宮は入党はしていないが長らく新自ク系会派に所属し、1986参議院では比例区候補として出馬&当選した ◇解党時 河野 洋平 衆・神奈05 野党派 宮沢派 田川 誠一 衆・神奈02 野党派 進歩党 山口 敏夫 衆・埼玉02 連立派 中曽根派 小杉 隆 衆・東京03 野党派 中曽根派 甘利 明 衆・神奈03 連立派 中曽根派 鈴木 恒夫 衆・神奈01 野党派 宮沢派 森田 重郎 参・埼玉 連立派 中曽根派 宇都宮 徳馬 参・東京 非党員 *野党派/連立派は1986衆参W選挙後の動向 連立派の3名は、山口幹事長が自民に統一会派参加を通告した際の参加者リストによる
★内閣 大臣 政務次官 --------------------------------------------------------------------------- 1983/12/27: 第2次中曽根内閣 自治 田川 誠一 自治 伊藤 公介 1984/11/01: 第2次中曽根改造内閣 労働 山口 敏夫 環境 中馬 弘毅 1985/12/28: 第2次中曽根再改造内閣 科技 河野 洋平 環境 小杉 隆 ---------------------------------------------------------------------------