しんぽみんしゅれんごう
(進民連)
1990/02/26改称~1992/10/29解散 *衆議院会派

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★概要 1990年に社会民主連合と進歩党が合同で結成した衆議院での院内統一会派。 社民連は1990総選挙前には社会・民社両党の和解を名目として衆議院で両党会派に2名ずつ所属させており、選挙後にも両党から統一会派結成の打診を受けていたが、総選挙で社会党が一人勝ちしたことで選挙前とは状況が一変。 社会党は元々社民連との統一会派を必要としていなかった上に、社民連にとっても大勝した社会党と統一会派を組んでも影響力を発揮できないため統一会派を拒否することになった一方で、民社党からは統一会派継続を強く要望されていたものの、元々社民連では菅らが民社党との連携に批判的だったことに加え、民社党が社会党と距離を取り始めていることへの批判や民社党が総選挙で大敗したことで統一会派の意味が薄れていたこともあって単独で衆議院会派を結成することとなった。 しかし、社民連はわずか4名しかいなかたっため、発言権の確保を目的として、特別国会を前に所属議員が田川誠一1名のみの進歩党と統一会派「進歩民主連合」を結成した。 形式的には社民連会派が会派名を変更した形を採った。 所属議員は5名だったが、予算委員会に委員を出すためには6名が必要とされていたため、連合型無所属で当選していた吉岡賢治にも参加を呼び掛けたが拒否されている。しかし他党からの配慮で予算委員1名の配分を受けた。 統一会派結成にあたって、両党はできるだけ共同歩調を取ることで合意しており、首班指名選挙では共に社会党の土井委員長に投票。消費税や野党連合政権に関しても共同歩調を取った。しかしPKO法案では対応が分かれ、社民連は社会党と共に議員辞職願を提出して本会議をボイコットしたのに対して、田川は本会議に出席して反対票を投じている。 1992参院選後に社民連は社会党と統一会派を結成したため、進民連は解散した。 この際、進歩党の田川は社会党会派への参加を拒否して会派に所属しない議員となっている。
★衆議院会派 --------------------------------------------------------------- 1990/02/26:  5 : *社民連会派が「進歩民主連合」へと改称 1992/10/29: -- : *会派解散 --------------------------------------------------------------- *参議院では、社民連議員(田英夫のみ)は社会党会派に参加、進歩党議員はいなかった
★会派役員 --------------------------------------------------------------- 共同代表: 江田 五月 社民連 *届出上の会派代表者 共同代表: 田川 誠一 進歩 幹事長:  阿部 昭吾 社民連 ---------------------------------------------------------------