ごけんしゃかい (ごけんしゃかいとう)
1994/02/05~1996/03/10

[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
*ここでは、以下の3つのグループ/政治団体を対象とする 1994/02/05~1994/08/07: 兵庫の社会党を正常化する総支部・支部連絡会議 (通称:正常化連絡会議) 1994/08/07~1996/03/10: 日本社会党兵庫県本部再建準備会 (通称:護憲社会党) 1995/03/27~1996/03/10: 政治団体「護憲社会」 (通称:護憲社会党)
★概要 日本社会党兵庫県本部の内紛で分裂した一派が1994年に結成したグループ/政治団体。 通称として「護憲社会党」を使用し、後に政治団体として「護憲社会」を結成した。 兵庫県の社会党は以前から度々内紛を起こしていたが、1993年の中央政界の政変以後はさらに激化。 1993末の県の党大会では、議長選を巡り乱闘が起き流会。党中央の調停も不発に終わり、県本部は分裂状態となった。 翌年には、非主流派(左派と呼ばれる)が「兵庫の社会党を正常化する総支部・支部連絡会議」を結成し、主流派による県本部(右派と呼ばれる)の民主化を要求して党費納入を保留したが、逆に党費未納入を理由に一斉除名された。 県の党員の約2割が除名される異常事態に、左派は党本部に除名の不当性を訴え、党費を直接党本部に納入して対抗。党本部は左派党員の党費納入を認めたが、同時に現状の県本部を正統とする裁定を下したため、分裂は継続した。 党本部は秋に開催された臨時全国大会でも前年の定期党大会の代議員をそのまま継続することで両派に配慮している。 夏になると、県本部は左派を排除した党大会を強行開催。左派はこれに対抗して正統な県本部の再建と称して「日本社会党兵庫県本部再建準備会」を結成。この際に初めて通称として「護憲社会党」の名が使われた。 1995統一地方選が近づくと、護憲社会党を支持する党員は県本部によって次々と除名されていった。 左派は正統性を主張するものの、党本部が県本部が正統としているため、選挙で党の公認を受けることが絶望的となり、独自の政治団体を結成して統一地方選挙に望むことを決定。 「護憲社会党」の名称は「日本社会党」の類似名称だとして選管に認められなかったため「護憲社会」で届け出たが、一般的には「護憲社会党」の名称を使用した。 阪神大震災の影響で一部が延期された1995統一地方選では、議席を減らしたものの一定の勢力の維持に成功。 一部党員は社会党籍を残していたものの、完全に分派となった護憲社会党は、1995参院選では社会党県本部とは別に活動。選挙区では県本部が民改連候補を推薦した一方で、護憲社会党は"平和・市民"の旭堂小南陵を推薦し、比例区でも"平和・市民"を全面的に支援している。 しかし、選挙では旭堂が落選し、県内での平和市民の比例票も伸び悩んで、全国的にも平和市民は当選1に終わった。 参院選後は、社会党左派の国会議員が結成していた護憲懇談会と連携して、全国の左派系同志と共に社会党の新党構想に反対したが、社会党の社会民主党への移行が確実となる中で、護憲懇談会の新党運動に参加することを決定。 1996年に矢田部や岡崎らが新社会党を結成すると、これに合流して新社会党兵庫県本部へと移行した。 これに伴い、形式的に社会党に党籍を残していた者も離党し、兵庫県の社会党は社民党と新社会党に大分裂を起こした。 ◇兵庫の社会党を正常化する総支部・支部連絡会議 (通称:正常化連絡会議) 1994/02/05結成集会 結成集会代表世話人: 西村 省吾 (加西市議) ◇日本社会党兵庫県本部再建準備会 (通称:護憲社会党) 1994/08/07結成 正常化連絡会議から発展 委員長: 岡崎 宏美 (衆) ◇護憲社会 (@政治団体、通称:護憲社会党) 1995/03/27届出 政治団体化 代表: 岡崎 宏美 (衆)
新社会党兵庫県本部 *後継組織 ・新社会党兵庫県本部 *後継組織、*旧サイト