むとうはしみんれんごう
(無党派、市民連合)
1983/04/16~1983?(解散)

[政党・会派] [政党・会派一覧(一括版)]
★概要 1983年参院選を前に、諸派無所属系議員が大同団結して結成された革新政党。 1983年参院選から比例区が導入されることが決定し、全国区で当選していたタレント議員などの著名候補は個人名での出馬ができなくなった。このため諸派無所属系議員は大同団結して新党を結成することで合意。新党の結成に先立ち参議院では統一会派の無党派クラブが結成され、その後、政治団体の無党派市民連合が結成された。 参議院議員7名が参加して政党要件を満たしており、所属議員の高い知名度により大量得票が期待されていた。 しかし中山千夏が革新自由連合をバックに影響力を行使しようとしたため他議員が猛反発。特に参院選の比例名簿順位(当時は拘束名簿式)の選定が中山と革自連主導で進められたため、現職議員が不安を抱き、ノック横山が政治団体の結成を前に離脱。 何度も和解の試みがなされたが、中山が自派候補の名簿1位に固執したため内紛は治まらず、市民連合の結成直後には青島幸男が離党を表明し、美濃部亮吉と秦豊もこれに同調したことで、結党早々に政党要件の喪失が確実となった。 中山の革自連脱退を条件に青島ら非改選の3議員が参院選後まで党籍を残すとする和解案もあったが、中山がなかなか革自連離党に踏み切らなかったため、しびれを切らした改選期の八代英太が離党して福祉党での出馬を表明。既に離党表明していた3名も正式に離党し、所属議員が中山と山田(耕)だけとなったことで政党要件を失った。 中山は遅まきながらを革自連離党して青島らに復帰を呼び掛けたが、関係修復はならず、市民連合は事実上、革自連の分派となった。 1983参院選では比例区で10名の候補を擁立し、第四インターなどの新左翼が全面支援を表明したものの、当選0に終わり、選挙後には中山と山田(耕)も離党したことで完全に活動を停止した。 この選挙では、ノック横山は民社推薦無所属で、八代は福祉党で、それぞれ当選。二院クラブも野坂昭如を当選させており、無党派連合と明暗を分けた。
★役員 ◇無党派市民連合・代表 1983/04/16: 中野 好夫 1983/05/--: 山田 宗睦 *代表代行 *組織としては青島・中山・中野らの共同代表制を採った 書類上の代表だった中野は元々調整役を期待されての起用だったため、党の分裂により代表職を退いた 選挙時も書類上の代表は中野だったが、代表としての職務は代表代行となった山田が務めた ただし分裂後の実質的な代表は中山で、選挙公報にも中山の写真が大きく掲載され、党を代表するコメントも中山が出している ◇無党派クラブ・代表 1982/12/20: 美濃部 亮吉、*副代表=青島・中山 *美濃部は選挙前に離党したが、参院選後に会派が解散されるまで会派には留まっていた
★年表 1982/12/13: 参議院議員7名が政治団体と統一会派の結成で合意 1982/12/20: 参議院会派として無党派クラブが結成(7名)=二院クと一の会が解散、新政クからも参加 1983/03/31: ノック横山が会派離脱(会派6名) 1983/04/16: 政治団体として無党派市民連合を届出 1983/04/18: 青島が離党を表明 1983/04/19: 美濃部が離党を表明 1983/04/--: 秦が離党を表明 1983/05/20: 八代英太が離党し福祉党を結成、美濃部と秦が正式に離党(議員2名) 1983/05/26: 青島幸男が会派離脱(会派5名) 1983/06/26: 参院選で0議席 1983/06/--: 中山と山田耕が離党表明(議員0名) 1983/07/04: 中山と山田耕が会派離脱(会派3名) 1983/07/11: 参議院会派解散=美濃部・秦・八代
★選挙歴 1983参: 当0/候10(比10): 509104 (1.09%) #
★国会議員 青島 幸男 二院ク # 離脱→二院ク 中山 千夏 一の会 # 秦 豊 社民連 # 離脱=八代を支援 八代 英太 新政ク # 離脱→福祉党 美濃部 亮吉 一の会 # 離脱=八代を支援 横山ノック 二院ク # 離脱→民社推薦 山田 耕三郎 一の会 # *最後まで残った中山と山田も参院選後に離党した
★候補者 永 六輔 ×比01 # 作家 矢崎 泰久 ×比02 # ジャーナリスト 飛田 洋子 ×比03 # 婦人運動家 前田 俊彦 ×比04 # 住民運動家 岩城 宏之 ×比05 # 音楽家(N響指揮者) 伊川 東吾 ×比06 # 市民運動家 安増 武子 ×比07 # 市民運動家 長谷川 きよし ×比08 # 歌手 林 冬子 ×比09 # 映画評論家 水戸 巌 ×比10 # 物理学者(芝浦工大教授)